真のバリアフリー化とは???

お久しぶりです。なっちゅうです。

YouTubeを開始してまだ3つ の動画しかあげてなくてすいません。

すいません。

今日から日常のことを撮ったり、書いていきます。

この2ヶ月間色々と考えていました。

まずはタイトルのことを文字で記します。

ひとまず、戦後のバリアフリーからにします。

なお、この記事は筆者の主観がかなりあります。そこをご理解の上読んでいただければ幸いです。

また、今回文章のみで記しています。

戦後のバリアフリー

戦後、2007年から2013年までの6年間は世界的な標準への採択か採択から批准までの期間ですが、詳しく見ると、日本の福祉は723年の興福寺に施薬院と悲田院が設置されるところまで遡ります。

このあと、730年に皇后宮職下に施薬院が設置したのを機に18世紀(1722年)まで歴史の転換になるようなものはありません。

その18世紀からは戦争が各地で始まっていて、日本においては1945年の敗戦後から本腰を入れるようになりました。そして身体、知的、精神、心理、高齢者という細かい制度に今なっています。

(私的には選別が多過ぎて何がなんだか、、、、、)

単発の人もいるし、重複している人もいます。今まで身体と知的と精神に分かれていたのですが、それでも(特に知的と精神の)境界線が曖昧です。この曖昧にしていることとは関係ないけど、制度設計にて敗戦後にアメリカの支配下になりGHQが深く関わり作った制度があって、その精度を今でも使っています。要するにアメリカのいいなりの状態で制度設計をし、今でもその影響で制度を作成したり、アメリカ以外のを単純に真似することを言っている政治家が多くいます。

こうしたことは最終的に、近年障がい者側からの発信がソーシャルメディアの活用(この記事もソーシャルメディアの活用ではある)により容易にできるようになり、社会に訴えることが簡単になったと言えます。このことは別記事にしますので、そちらへ。

ただ自身はこうした構造をきちんと理解した上で発信していけば自ずと差別化は容易だと考えますが、誰かの真似事による複製をしても意見を表明することだけの意味しかありません。多数派のことが賛成であると言う民主主義ですが、、、、、、、、

こうしたことは後々の人生に関わってきます。今一度人間の成り立ちを考えるとともに、筆者が思い描く真のバリアフリーを後半に書きたいと思います。この記事では福祉の歴史を書きたいわけではありませんので、福祉の歴史を知りたい方はこちらから。

ちなみに我が国の福祉は高齢者(当時の言葉では老人)から始まっています。この点を考えて見ると、政策に高齢者の福祉が取り上げられる、もしくはメディアにも大きく時間を割くことにも合点は行きますが、、、、

今も同じ考えがあるが、、、、、

「障害者は家にいろ」というのは死後になってはいるけど、日本人の心の中の奥底には必ずあります。この証拠としてやはり自身が車椅子とともに動き、街の人に会って、驚かれることにあります。

自身としては車椅子とともにですが、「普通に外に出たい」という思いがある反面、街の人の顔色を伺いながらということもしている中で思ったことです。自身は出る時は出るということを肝に銘じながら行動しています。

政治家は勝手に「障害者も外に出ろ」と言いますが、強い心が障害者自身になければ成立しません。区別されて当たり前、時間がかかるのは当たり前、障害があって当たり前などなど、他にも色々といわゆる”健常者”と”障害者”の区別はされることがあります。区別されて当たり前と思っていなければ地域で生活することはできません。

このことをないがしろにして、政治家や自身のことしか考えていない障害者などは、人権にて「人は平等」と言う盾を使い、社会へのバリアフリーへの提言や、一般学級への参画、公共施設への苦言、これらのためのお金を福祉で賄うことなどなどを言っている人もいます。

ただ、このことに文句を言う人もいるのは紛れもない事実です。一個人のためにお金をって思うなら制度でさえ同じことが言えるのではないでしょうか?もっとも、家の改修でバリアフリーにしたらいくらか出ると言うことも。(こちらを参照)

自身も車椅子で多々障害はありますが、自身はお金が必要な場合は、自腹を切れる時は切って色々行なっています。それが障害というマイノリティを乗り越える第一歩だと思うので。もちろん、家族には数えきれない迷惑がかかっていますが、、、、、、、、、(私的なことなのでこの辺にしておきます。)

まさに自腹を切ると言うことが現代において足りていないのではと思ってしまいます。

教育に関して

最近インクルーシブ教育が騒がれて久しいですが、障害者側の言い分には少し危機感を覚えています。それは本当に子供自身が望んでいるかです。

一つ例を挙げます。

人工呼吸器の3年生、地元の小学校へ 通学に向け一歩(2019年9月29日配信『朝日新聞』)

https://gogotamu2019.blog.fc2.com/blog-entry-3377.html

人工呼吸器で地域に出ることはいいことだと筆者自身はいいことだと思います。

ただし、条件があると思うのです。それは意思がきちんと示せるかどうかです。ここが最大のポイントであります。

この記事の最大の問題点は親からの提案ではないかと思います。

そもそも学校に通うということはどういうことか、「それは人との区別をみて、きいて、しる」、その上で自身には何ができるか、何を与えられるか、などなどを覚える処であります。

これ健常者にも障害者にも子供にも大人にも男にも女にも言えることです。

その上で地域に『自ら』出ていくということは良いことだけど、社会に出ていくことで上のことのような区別があること、その上で差別がある可能性が秘めていることをしっかりと受け止める気持ちが必要です。

この記事に限ったことではないのですが、こう言った教育に向かえば向かうほど「子供にお世話をさせるのは」とか「なんでうちの子がそんなこと一緒に」とかいう親、はたまたこれは筆者の体験談なのですが、直接「お前なんかは養護学校に行け」とか平気で中学生以上は言います。これは紛れもない事実です。

そこを大人が介入して解決しようとするのは違うと思います。それこそ子供同士、または個人同士の教育であると筆者は考えています。

ですが、僕は必死でもがいていた時期もありましたが、大人になって俯瞰的に見られるようになった時に気付いたのが『「人それぞれ自身」自体が区別なんだ』ということです。そのことがわかれば後は気が楽になります。

話を戻すと、親からの提案により介護タクシーという福祉の制度を使っての通学、人を使っての通いまた修学、こうしたことをどう受け止めるかにもよります。また、これらのお金がどこから来ているのかにも話が違ってくると思います。

【番外編】これは少し厳しい意見なのですが、障害者も社会に出たらできないことがあることを学ぶ必要がありまあす。仮に養護学校・学級に通うとそこは問題にしません。守っちゃうのです、先生&家族が。だから、社会に出ても使い物にはならないのです。雑用を押し付けられるだけなのです。小学校、中学校、高校と一般学級にいれば守られないことが当たり前ですので、逆のことは経験しなくともすぐにでもわかります。

【番外編】成人同士の付き合いならば、ある程度言い合えることもあるので、成人同士の付き合いならば筆者は大賛成ですし、実際にみたこともあります。それらをまとめたものを2019年6月にまとめました。よろしければご一読下されば幸いです。

社会に出れば、医療・福祉という仕事でひとまず障がい者という人がいるおかげで成り立っている職業もありますので、一概に別々に教育するとは言えない状況であります。

制度も同様に、、、また制度の弊害も!?

制度だって同じことが言えます。

これは何を障害とするかにもよって変わってきます。また健常の中の正常を何かという問いでもあります。

様々な角度から見なくては行けないのに、いざ障害者と言うと、医学モデルと社会モデルと言われてます。

全てのことを網羅はできてはいますが、対人間になってしまうと障害を持っている、持っていないにかかわらず、自身の限界(役割)を知っていて行動している人もいます。

その人の限界を知るために言葉を覚えたり、歴史を覚えたり、勉強することにより学ぶのです。

このことに気付いてない人が双方共にいます。

(良い例が会ったら追記します)

そして区別として頭に入れるために勉強するべきだと思うのです。健常者にも障害者にも。

筆者は究極青空のもとでも学べるとわかっています。

しかしながら、それらのことって実際に会ってみないことにはわからないことですよね!?

そう、まさしく健常者と障害者が会う時間がなくなっていると思います。

結局何が言いたいかと言えば、、、、

最後に一言だけいうとすれば

言いたいことがあるなら、

実際に

お互いあって

話してから

言ってみよう

ということです。

意外と簡単なことです。合わないことにはわかりません。

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